『文化交流研究』

東京大学文学部次世代人文学開発センター研究紀要

第26号(2016年)以降の『文化交流研究は、東京大学学術機関リポジトリでお読みいただけます(著者の許諾を得たものに限ります)。

第36号(2023年)

<文化交流茶話会トーク>

色字共感覚と言葉   浅野 倫子 

「未来派創立宣言」を読む   土肥 秀行

ヨーロッパ初期中世の政治文化をめぐって:「威嚇」の様態を考える    菊地 重仁

文学研究とフィールドワーク ──佐藤春夫の台湾紀行──    河野 龍也

日本列島における人類の初期移住 ──議論と課題──    森先 一貴

計算社会科学とは何か?   瀧川 裕貴


古代学交流講演会

ポンペイの「見えざる人々」の痕跡を探して    イェンス=アルネ・ディックマン 


編集後記    芳賀 京子

第35号(2022年)

<文化交流茶話会トーク>

世界遺産を通してみる「縄文」  根岸 洋

平安仏画研究のこれから  増記 隆介

2018年の小説が想像する、資本主義と物語の感染性  藤井 光

シグナリング・ゲームと社会心理学  大坪 庸介

日本の人口とジェンダー格差:コロナ禍の階層社会・日本  白波瀬 佐和子

患者の日本語と医者のドイツ語 ──1930年代の症例誌の構成  鈴木 晃仁

入管収容所とは何か  高谷 幸

生における意味の変容  古荘 真敬


<論文>

儒教経学における「嫂」  小島 毅

日本語教授法開発と教師養成 ──ライティングにおける書きことばの習得と学習を例に──  鎌田美千子


編集後記  芳賀 京子、太田 泉 フロランス

第34号(2021年)

<東大人文・熊野フォーラム「聖地の記述/記録──熊野を中心に──」>

はじめに  秋山 聰

禅僧天田愚庵の『順礼日記』──〝熊野詣で〟の記述を読む──  林 雅彦

聖なる空間の建築記述:文字、絵図、立体──熊野神倉権現社の記録を中心に──  松﨑 照明

古代ギリシアの聖域の記述と信仰の記憶  芳賀 京子

孔子を神として祭る──曲阜孔子廟の歴史──  小島 毅

聖地熊野の捨身行──古記録から秘伝へのアプローチ──  山本 殖生


<文化交流茶話会トーク>

ボッカッチョの古典研究  日向 太郎

日本語における語の移動と省略  中尾 千鶴

18世紀フランス政治思想史をどう読むか──政治的自律の諸相──  王寺 賢太

マイケル・ファラデーと製本術  野村 悠里

「方言の島」山梨県奈良田の言語状況  小西 いずみ


<論文>

人文社会系分野の学位取得を目指す留学生への教育体制づくりの実践と課題  向井 留実子


編集後記  芳賀 京子

第33号(2020年)

<文化交流茶話会トーク>

〈なぜ、何もないのではなく、何かがあるのか?〉を哲学が問うことの意味について  乘立 雄輝

数寄者と中世文学  木下 華子

倫理学は「運」をどう扱うべきか  古田 徹也

ラマホロット語の方向詞と空間参照枠  長屋 尚典

神秘主義の知のありか  渡辺 優

Janeites の功罪──ジェイン・オースティン受容についての考察  新井 潤美

デジタルゲーム研究は美学にとってなぜ重要か  吉田 寛

人文情報学とは何か  大向 一輝


<論文>

山際永三『炎 1960~1970』と映画運動  池田 嘉郎


編集後記  芳賀 京子

第32号(2019年)

<文化交流茶話会トーク>

中華人民共和国の文学をどう読むか  鈴木 将久

ギリシア・ローマ美術における創造と複製──3D 技術と古代彫刻──  芳賀 京子

日露の考古学について思うこと  福田 正宏

御伽草子と戯作における擬人化表現  佐藤 至子

ヴェーダーンタ哲学研究前史──〈ウパニシャッド〉の受容──  加藤 隆宏

人相を観る人の心理  鈴木 敦命

現代フランス文学における道行きと束縛をめぐって  塩塚 秀一郎

生命倫理を問いなおす──安楽死・尊厳死と生権力──  小松 美彦

近世の天皇・上皇と幕府   和明

韓国における社会保障制度の行き詰まりと新たな試み  金 成垣

中世ドイツ語文芸における作者性と匿名性  山本

認知症ケアにおける地域の意義──認知症の人の一貫性の維持と緩和に注目して──  井口 高志


<論文>

山際永三『狂熱の果て』とリアリズムの探究  池田 嘉郎

日本語で学位取得を目指す大学院留学生を対象とした学業・研究活動を支える日本語教育の試み  向井 留実子 金山 泰子


編集後記  小島

第31号(2018年)

<文化交流茶話会トーク>

インドの唯識思想と菩薩の実践  高橋 晃一

脆弱性・依存性・応答性をはらむ行為者性概念へ──現代行為論からケアの倫理へ──  早川 正祐

和刻本の変種──中国に伝わった日本の版木とその摺本について──  陳 捷

敗北と文学──アメリカ南部の場合──  後藤 和彦


<論文>

日本語で学位取得を目指す大学院留学生への指導・支援の課題──東京大学大学院人文社会系研究科・文学部における実践を通して──  向井 留美子


<集英社高度教養寄付講座第9回講演会記録>

高度教養教育の現状と課題  ユキオ・リピット 熊野 純彦 マリアンヌ・シモン=及川 (司会)古井戸 秀夫


編集後記  小島 毅

第30号(2017年)

<文化交流茶話会トーク>

ギリシア哲学史の可能性 ─複眼的哲学史を書く試み─  納富 信留

シーア派イスラーム社会の聖地巡礼と死者の「移葬」  守川 知子

安静時の脳活動から記憶力トレーニングの結果を予測する  今水 寛

日本中世の社会集団と「家」  三枝 暁子

第二次大戦後のフランスにおける司祭と労働について  長井 伸仁

チェーホフの『かもめ』とスタニスラフスキーの演技システム形成期─演劇における内面表現の諸相─  楯岡 求美

チェコ・シュルレアリスムの《ポエジー》──カレル・タイゲを中心に  阿部 賢一

中国の古地震記録について──サステイナビリティ研究の視点から──  小島 毅


<展覧会評>

Una mostra sul teatro giapponese “kabuki”  小佐野 重利


編集後記  小島 毅

第29号(2016年)

<文化交流茶話会トーク>

「観測選択効果」の視点による進化芸術学の可能性  三浦 俊彦

19世紀の風景画家の聖地としてのカプリ島─芸術家宿ホテル・パガーノの誕生と終焉をめぐって  河村 英和

史跡とならずに消えた名所─本郷の富士山  松田 陽


<論文>

日本におけるフィレンツェ派の受容小史─特にボッティチェリに言及して─  小佐野 重利

『論語』の解釈変更──古注から新注へ──  小島 毅


編集後記  小島 毅

第28号(2015年)

<文化交流茶話会トーク>

ウクライナ─ボスニア:国が消えて国境が残る物語  三谷 惠子

高麗─朝鮮における佛教─儒教間の対立の眼目(鄭道傳(ジョンドウジョン 1342-1398)による『佛氏雜辨』と、己和(キファ)(涵虚得通(ハムホドゥックトン; 1376-1433)『顯正論』の立場に關する比較)  A. チャールズ ミュラー

国際結婚移住女性への文字学習支援  向井 留実子

ヒトの高次共感と正義判断の認知・神経メカニズムをめぐって  亀田 達也


<論文>

美術史研究から科学画像と科学画像リテラシーを考える  小佐野 重利

夢窓疎石私論──怨親差別を超えて  小島 毅


編集後記  小島 毅

第27号(2014年)

<文化交流茶話会トーク>

道元を読む─『正法眼蔵』「現成公案」巻冒頭の一節をめぐって─  賴住 光子

きれいで明るい死後の世界──ポピュラーな映像作品を通して  堀江 宗正

幸福なモスクワ  池田 嘉郎

隔たりへの感受性:遺骨収集・戦地慰霊への宗教学的アプローチ  西村 明

イスラム教シーア派におけるメシア主義とその神話化  菊地 達也

錯覚と眼球運動と視野安定  村上 郁也

源氏物語における類聚性  高木 和子

初期アメリカ新聞漫画について  柴田 元幸

中継地点としてのリオ・デ・ジャネイロ アルフォンソ・レイェスの日記を読む  柳原 孝敦

『万葉集』巻十六について─「無心所著歌」を中心に─  鉄野 昌弘


<論文>

千葉繁の半生:『造化機論』の翻訳に至るまで  赤川 学

トスカナ大公国メディチ家のフェルディナンド大公子の絵画収集における複製絵画─補遺─  小佐野 重利


編集後記  小島 毅

第26号(2013年)

<文化交流茶話会トーク>

離島漁村『寝屋慣行』の維持と変容:社会心理学からのアプローチ  村本 由紀子

土佐光信と室町絵巻  髙岸 輝

ハウジングとホームの社会学─ nLDK 批判を手がかりに─  祐成 保志

鎌倉幕府の成立をめぐって  高橋 典幸

近世植民都市バタヴィアの奴隷に関する覚書  島田 竜登

「イギリス史」・アイルランド史・「3国史」──二つの国家合同の事例から  勝田 俊輔

聖なる〈ことば〉の伝承─古代インドのヴェーダ学生をめぐって  梶原 三恵子

実証研究と医療倫理:胃ろう問題を題材に  会田 薫子


<論文>

『造化機論』の千葉繁──幻の性科学者にとっての近代  赤川 学


編集後記  小佐野 重利